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西郷隆盛ゆかりの地を歩く「西郷どんの遠行」【鹿児島県】

目次

 鹿児島県担当、フリーアナウンサーの山城優子です。イベントの多い時期になってきました。皆様、いかがお過ごしでしょうか。私は先日、西郷隆盛の史跡巡りに参加しました。生誕地からお墓まで、西郷さんゆかりの地をご紹介します。

「西郷どんの遠行」とは

 毎年秋分の日に開催されている「西郷どんの遠行(せごどんのえんこ)」。9月24日が西郷隆盛の命日であることから、西郷さんゆかりの地を巡りながら西郷さんの偉業を偲び、後世に伝える伝統行事です。
 52回目の今年は、約3000人が参加しました。スタートからゴールまではおよそ8㎞。スタンプラリー形式で、全部で7つの史跡を巡ります。出発時は小雨が降っていましたが、だんだんと厚い雲がとれて途中からは青空が顔を出し、西郷さんに見守られているような気持ちになりました。

西郷隆盛ゆかりの地

 スタートは、鹿児島市加治屋町の「西郷隆盛誕生地」。西郷隆盛と弟の従道が生まれ育った場所で、加治屋町は大久保利通や東郷平八郎などの偉人を多く輩出した所でもあります。ここで行われていたのが「郷中教育(ごじゅうきょういく)」と呼ばれる薩摩藩独自の教育制度。同じ地域に住む先輩が、後輩に学問や武術などを教えていました。
 2か所目「南洲翁座禅石」。西郷さんが毎日通って座禅を組み、修行に励んでいたといわれる大きな石があります。長さは約2m、幅は約80cm。大勢の参加者の前で座禅を組む勇気はありませんでしたが、立派な石を触りながら「西郷さんはどんなことを考えていたのかな」と思いを馳せました。
 3か所目「夏蔭城跡(なつかげじょうあと)」。急勾配の道や階段を息を切らしながら登った先にありました。ガイドの方の説明によると、この場所は以前は大きな楠木がたくさんあり、木陰になっていたとか。鶴丸城があった城山の後ろにあり、見晴らしがいいので見張りをしていた所でもあったそうです。
 4か所目「城山本営跡」。西南戦争時、370名ほどになった西郷軍が籠城の本営を置いた場所。ここでは、軍服姿のガイドさんが迎えてくださいました。
 5か所目「南洲翁洞窟」。西郷さんが最期の5日間を過ごした所。当時、入口1.8m、奥行3.6mの洞窟の中で寝起きしていたようです。
 6か所目「岩崎谷終焉之地」。明治10年9月24日、政府軍の総攻撃を受け、銃弾を受けた西郷さんが命を落としたとされる所。ここまでアップダウンを繰り返してきたことと、暑さで体が重く、歩くスピードも落ちていましたが、「ゴールまでもう一息!頑張って!」とスタッフの方からエールをいただき、力が湧きました。
 最後の最後に、心臓破りの階段123段が待ち受けていましたが、なんとか登り切りゴール!最終地点の「南洲墓地」には、西南戦争で戦死した薩軍2023名が埋葬されています。最前列中央にある西郷さんのお墓に、私もお参りをしました。いつの間にか呼吸も整い、完歩の達成感や自らの足で西郷さんやその歴史について学ぶことができた充実感でいっぱいでした。

語り継ぎたい鹿児島の歴史

 各所でガイドの方のお話を聞いたり、史跡をじっくり眺めたり、休憩をとりながらゆっくり歩いたので、3時間半ほどかかりました。運動不足の体には少し堪えましたが、とても貴重な体験ができ、多くの収穫を得ました。鹿児島には郷中教育の教えを取り入れている幼稚園、小中学校、高校があります。鹿児島に住む者として、西郷さんをはじめ鹿児島の偉人や歴史を知り、後世に伝えていくことは大切だと改めて感じています。私もいつかガイド側に立って語り継ぎたいです。

アナウンサー紹介

元NHK鹿児島放送局キャスター。まち歩き、歴史好きが高じて鹿児島の観光ガイド「薩摩こんしぇるじゅ。」を務めたことも。特技のラッピングはコーディネーターの資格を持ち、どんなものでも高見えおしゃれに変身させちゃいます!得意の婚礼司会をはじめ、子どもプレゼン教室、コミュニケーション講座講師、イベントMCなど幅広く活動。誠を尽くして取り組みます!