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よんなな プロジェクト

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歌舞伎町に芥川龍之介の父の牧場が!? 歴史トリビアを楽しむ東新宿【東京都】

目次

 高柳美枝子です。3月になると、こうして母のジュエリーを身に着け新宿御苑に来ます。数十年前の3月に両親が結婚式を挙げたこの街で、ファミリーヒストリーに思いを馳せるためです。過去を振り返るのにピッタリの新宿御苑とその周辺・・・実は、歴史好きにはたまらない場所なんですよ。さあ、新宿トリビアの始まりです!

意外と知られていない「新宿」の名前の起源

 江戸時代に作られた五街道。日本橋を起点とする甲州街道の最初の宿場町は高井戸に決まったものの、日本橋から遠いため
「中間地点にもう一つ”新しい”宿場を作ろう」
との声が上がりました。これが「新宿」の起源だと言われています。現在の規模を考えると意外ですが、新宿は高井戸のサブ的な位置づけだったのですね。

新宿御苑には昭和天皇のゴルフ場があった

 江戸時代、徳川家康には内藤という有能な家臣がいました。内藤の功績を称え、家康が褒美として授けたのが新宿の広大な土地です。内藤家はそこに屋敷を構えました。これがまさに現在の新宿御苑一帯!「御苑」といえども、当初は一家臣の所有地だったというわけです。
月日は流れ、大蔵省がこの土地を購入し、大正時代には皇族が休憩所として利用するようになりました。当時、皇太子時代からゴルフに夢中だった昭和天皇は、御所から通いやすいゴルフ場を探していました。しかし、なかなか利便性の良いコースが見つかりません。さあ、どうしましょう…?

なんと!園内に皇室専用ゴルフ場をつくらせることにしたのです。しかも9ホール、全長1736ヤード!!現在の「風景式庭園」周辺がゴルフコースだったとか。昭和天皇のゴルフ愛は冷めやらず、香淳皇后と新宿御苑内でプレーを楽しまれたといいます。しかし、世界大戦が始まるやゴルフをお止めになられたとか。耐えがたきを耐える国民をお思いになられてのことでしょう。

マスクメロンが作られたのも新宿御苑

 御苑内で作られたのはゴルフ場だけではありません。国がここに「農事試験場」を設置し、農作物の開発に挑んだ時代がありました。特に有名なのは「マスクメロン」でしょう。独特の網目に高級感。幼い頃、母が頂き物のマスクメロンを「すごく高級で美味しいんだよ」と、幸せそうに切り分けてくれたのを覚えています。昔の人にとっては憧れのフルーツだったのですよね。

新宿御苑から少し歩くと、新宿駅東口に到着します。ここには、古物商を営む高野吉太郎という商人がいました。高野氏は、新宿御苑でマスクメロンが開発されたことを知ると商機と捉え、メロンを積極的に販売するようになります。結果は大成功!店舗は次第に拡大し、マスクメロンパフェで有名な「新宿高野」として進化を遂げ、現在も多くのファンで賑わっています。
それにしても、このパフェ。メロンはこの上なくジューシーかつ芳香、アイスクリームはミルク風味が強く、とーっても美味しい!

歌舞伎町にあった巨大牧場 オーナーは芥川龍之介の父

 昔の作家が書いた自叙伝を読むと、当時の風情が浮かびます。今回の歴史散歩に役立った一冊は、芥川龍之介の「点鬼簿」でした。一部引用します。
”僕の父は牛乳屋であり、小さい成功者の一人らしかった。(中略)当時新宿にあった牧場の外の…”
場所は新宿二丁目、このあたりです。

芥川の父はここで100頭以上の牛を飼育したといいます。100頭ですよ!?想像できますか?芥川も、飽きるまで牛を眺めていたこの地が歌舞伎町に化けるなんて、1ミリたりとも想像しなかったでしょうね。
多くの意外な歴史が隠された新宿は、こうして過去を想像しながら歩くと何倍にも楽しめるユニークな場所なのです。

アナウンサー紹介

ブルームバーグテレビでリポーターとプロデューサーを兼任し、世界の金融経済情報や日本の政治情勢を伝えた。自身の単独インタビュー相手には麻生太郎氏、石破茂氏、故塩川正十郎氏など政界の大物が名を連ねる。「放送は一般庶民のためにある」との思いからテレビ宮崎に転職し、同局のアナウンサーとして、得意の報道以外にもバラエティー番組やドキュメンタリー番組にも出演。フリー転身後は、マレーシアやドイツなど日本と海外を行き来しながら活動を続けている。